DOOMs

工藤時生、斎藤志公、齊藤隆嗣、澤田光琉、GORILLA PARK、松田ハル、横手太紀、渡邊涼太

2023年 8月 25日

9月 17日

SOM GALLERY

この度 SOM GALLERY は、1998年出生の作家で構成される "1998" によるグループ展「DOOMs」を、日本橋馬喰横山にて開催いたします。

”1998” は、閉塞する社会への悲観の中で捨てきれない憧憬を表現に託す、1998年生まれの複数の作家から出発した無頭の集団です。
約1年ぶりの展示となる本展においては、表現空間を通して多様な思考、感覚を共有し対立・緊張・調和等さまざまな関係によって失われた「私たち」という感覚を問い直します。
彼らの表現は、閉塞的な現代を生きる我々に対し、直接的に希望や光を差し伸べるものではないでしょう。そこにあるのは、要塞のごとき現代社会の外を想像し得ない無知な楽観主義者たちへ捧げる祈りに似た想いかもしれません。表現が交錯する展示会場という特異点でどんな答えが待ち受けているか、それは彼らも知る由はないでしょう。ただ終末の鐘の音が鳴り響くその場所で、一人一人に新たな世界の始まりの光が差し込むことを願っています。

本展に寄せた彼らの言葉を紹介する形で、結びとさせていただきます。

本展示のタイトルである『DOOM』は破局、終末、運命といったことを意味する。
それはこの生きづらさに満ちた世界の終末である。
一つの展示空間において多様な作家たちの終末への眼差しが交差し、やがてあらたな始まりとして目前と現れる。
私たちはいま誰もがこの社会の、あるいは大きな制度の道具的存在として自己を抑圧し、疎外されている。
自由や自己実現のために感情を犠牲にするこの耐えがたい矛盾の中でわたしという存在はたえず痙攣し、緊張し、安らぐ場を失っている。

しかしこの悲惨を生んだ悪はいったい何処にあるのか?
なぜこうなったのか、私は本当は何もわかっていないのではないか?わたしたちはどれほど他者を、その関係を見て感じることができているだろうか?
私たちは繋がれていないのではないのか?
繋がりを知らないわたしは、認められていないのではないか?
なにかの道具になることでしか世界と関わりを持てない自分の欠落を。
そしてこの生きづらさを作っているのはわたしたち自身の選択ではないか?

終末 (DOOMs) は資本主義という怪物の否定を意味しない。
高度な技術の支配力の否定を意味しない。
私たちは望む。

この耐えがたい冷え切った世界の悪循環をつくる「わたし」という存在の終末を。
この世界の終末 (DOOMs) はこれまでの私たち自身の終末なのである。
わたし自身の中の欠落の自覚・その共有は終末への歩みであると同時に新たな世界の始まりである。

この出口のない世界でそれでも私たちは外へ眼差しを向ける。
なだらかで薄ぼけた日常から終末の深みへ自らを投げ込む。
そこに理想的な私たちはいないかもしれない。
しかし、私たちはいま誘惑されなければならない。
冷たく硬化した世界の皮膚をめくり上げたその場所で。

2023年8月 1998

Works

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