点が点であるままに
三浦 光雅
2026年 5月 27日
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6月 28日
SOM GALLERY

SOM GALLERYは、5月27日(水)から6月28日(日)まで、三浦光雅による個展「点が点であるままに」を開催する。本展では、新作群を通して「絵画はいかにして生まれるのか」という問いを起点に、制作の過程においてなお消えずに残り続けるものに光を当てる。
三浦光雅は1997年山口県生まれ。2021年、京都芸術大学大学院修士課程美術工芸領域油画分野を修了。偶然性や無作為性、手作業と機械作業の境界、そして労働といった主題のもと、主に平面作品を制作している。乱数に基づく指示によってイメージを構築する手法は、制作における逡巡や判断を極力排し、無意識的で純粋な行為の連なりを可視化する試みである。同時に、機械的に引かれた線にさえ固有の揺らぎや質感が宿ることに着目し、反復される日常の知覚を捉え直そうとしている。
三浦の実践において「描く」という行為は、表現や選択の結果ではなく、あらかじめ定められた手順の反復として遂行される。乱数によって決定された始点と終点を結び、同一の動作が繰り返される。その持続のなかで、手のわずかな震えや絵具の状態、支持体との摩擦といった身体的条件が不可避的に介入し、画面には統制された構造と、そこからこぼれ落ちる差異とが重なり合う。こうして現れるのは、均質には還元されえない反復の軌跡であり、時間の経過そのものが層として堆積した痕跡である。それは結果としてのイメージであると同時に、行為の履歴そのものでもある。
このような態度は、音楽家ジョン・ケージの試みにも通じる。ケージはチャンス・オペレーションによって音の選択を手放し、作品を「つくる」ものから「起こる」ものへと転換した。この態度の背後には、意図を手放し、ただ起こるものを受け取るという、禅的な思考にも通じる姿勢がある。いずれにおいても重要なのは、単なる選択の放棄ではなく、「選ぼうとする意志」を手放すことであり、作家や主体は、出来事が生起するための条件を整える存在へと位置づけ直される。
三浦の制作もまた、意図を外部へと委ねる点でこの構造を共有している。しかし両者のあいだには決定的な差異がある。ケージが音という時間的現象のなかで出来事を開いたのに対し、三浦は絵画という物質の上に、行為の痕跡をとどめる。乱数によって定められたプロトコルに従いながらも、その実行は決して完全に均質にはならない。反復される線は、かすれや滲み、濃淡の揺れを伴いながら、わずかに異なる形で現れ続ける。その結果、画面には設計された秩序と、身体に由来する偶発的な差異とが同時に立ち上がる。そこでは「同じこと」が繰り返されているにもかかわらず、「同じもの」は一度として現れない。
ここで浮かび上がるのは、意図を手放したあとにもなお残り続けるものの存在である。生成AIがアルゴリズムによってイメージを即時に生み出し、その過程を不可視化していく現在において、三浦の制作はむしろ逆の方向へと向かう。手順に従うことで制作を単純化しながらも、その実行に伴う時間や労働、身体の痕跡を消去することなく画面にとどめ続けるのである。そこには、効率や最適化の論理には還元されない、行為の持続が刻みつける痕跡がある。
あらかじめ定められた手順に従うとき、そこに残るものは何か。意図を手放した先に現れるものを、禅は受け入れ、ケージは出来事として開いた。そして三浦は、それを反復される行為の痕跡として引き受ける。本展は、制作がアルゴリズムへと委ねられつつある現在において、それでもなお消えずに残る「身体、労働、時間」を通して、「人間が関わること」とは何か、その条件を静かに問いかける。
Works
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