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塩出麻美がロンドンにて個展「Are there seeds inside the apple?」を開催

塩出麻美
Are there seeds inside the apple?
Curated by Samuele Visentin

2025年5月8日 (木) - 5月20日 (火)
Greatorex Street Gallery MAP
*日曜日と平日のみアポイント制

HP: https://www.samuelevisentin.com/exhibitions/34-are-there-seeds-inside-the-apple-asami-shiode/

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この度、塩出麻美は新作個展「Are there seeds inside the apple?」を、Greatorex Street Gallery(ロンドン、イギリス)にて2025年5月8日より開催いたします。

本展は、芸術の必要性と有機的生命の原理とが、素材の粒子状の表層において融合する作品群によって構成されています。

本展で展示される一連の作品は、「描かれたリンゴの中に種は存在するのか?」という共通の問いから出発しています。この問いは、日本の批評家・花田清輝が1950年代に発表したエッセイ『林檎に関する一考察』において言及された表現に類するものであり、描かれた果実の内部に種子が存在するか否かを確かめようとする不可能な試みに対し、絵画という二次元的な媒体の物質的制約を浮き彫りにします。すなわち、それは作家自身の想像にとどまり続ける、仮構された存在状態の問題です。この想像上の状態に対抗するかたちで、塩出は「2.5次元的体験」への拡張を提案します。そこでは、絵画が空間へと跳躍し、微生物的な拡張の可能性を示唆します。通常、絵具は支持体の上に塗布されるものと考えられていますが、塩出はこれに反し、厚く塗布された絵具の上から金網や粗いリネンクロスを押し当てることで、絵具が表面へと「押し出される」ように展開します。これにより、絵画は支持体の奥から現れるものとなるのです。

この技法の発展には、作家自身が「存在の点滅」と呼ぶ状態の発見が関係しています。この表現は幼少期に塩出が用いていた言葉であり、対立的な要素が互いに交互に入れ替わりながら、一つの閉じた空間の中で輝きつつ共存し、視覚内で個別に、かつ同時に変化する状況を指します。たとえば、コンテで紙に描く場合を例に取ると、黒と白の微粒子が相互に交じり合うことなく、あくまで独立した点として様々な光度をもって輝く様子が見て取れます。たとえば、《横辷り (A/O)》(2025) に見られるように、絵具は粗織のリネンを通過して突出し、一種の発芽する生態系のように空間ににじみ出てきます。そのイメージは、セザンヌの静物画を想起させる繰り返しの構成をとりつつ、焦点の合う/合わないをまたぐ運動を見せています。

芸術、科学、哲学を横断する背景を持つ塩出は、各キャンバスを、物質とイメージとが相互に独立性を保ちつつも不可分に共存する一つの存在へと変容させます。塩出は、形態を外から与えるのではなく、むしろ「出現・断裂・変容」のための領域を創出し、そこにおいて作家と物質が協働する関係性のなかで成果へと到達しようとします。絵画が生命そのものを——その模像ではなく——いかにして示しうるかという問いに応答すべく、塩出は、エントロピー・偶然性・成長といった自然の原理を取り込みながら、絵画を統御する別の原理として体現/超越しようと試みます。「リンゴの中に種があるか」という問いは最終的に解決されることはありません。しかし、その問いに向けて方法を探求する過程そのものが、絵画を思考する新たな道を切り拓くことになるでしょう。

- サミュエル・ヴィセンティン(Samuele Visentin - キュレーター)